生命の言葉 2012年
生命の言葉(東京都神社庁から)

●2012年1月

年頭 まずは自ら意気を新たにすべし 安岡正篤(やすおか まさひろ)


●2012年2月

僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る 高村光太郎

*自ら進む道は自分の力で切り開いていかなくてはいけない。その歩みを続けていった結果が「人生」という一本の道となる


●2012年3月

つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの 相田みつを

*人間は失敗する。その能力に限りがあるからである。また、人間は挫折する。夢やあこがれを抱く存在だからである。失敗も挫折も、それが人間である証と思い、乗り越えていかなくてはいけない。


●2012年4月

至誠にして動かざる者は 未だこれ有らざるなり 吉田松陰

*誠意を尽くして事にあたれば、どのようなものでも必ず動かすことができる。物事や人を突き動かす上で「誠」の心がいかに大切かを説いた言葉。


●2012年5月

和魂漢才 菅原道真

*日本人としての魂を忘れずに、祖国を愛する心を持ったうえで、世界人として国外に広い知識を求めて勉強せよという教え。


●2012年6月

人の親の心は闇にあらねど 子を思う道にまどひぬるかな 藤原兼輔

親の心は夜の闇ではない。しかし、子どものことを思うと、まっくらな闇を進むようで、迷い、途方に暮れるばかりである。


●2012年7月

自分のしている事が、自分の目的(エンド)になっていない程苦しい事はない 夏目漱石

*目的と手段が直結しづらい世の中。目的や生きがいを持てずに仕事を続けるのは大変な苦痛である。

生命の言葉23年9月~12月
23年9月~12月まで

●平成23年12月 世のなかの よきもあしきも ことごとに神のこころの しわざにぞある 本居宣長

●平成23年11月 わが行く道に茨(いばら)多し されど生命(いのち)の道は一つ この外に道なし この道を行く 武者小路実篤

●平成23年10月 末の世と いつより人の いひ初(そ)めて 猶(なほ)世の末に ならぬなるらむ 大隈言道

●平成23年09月 未だかつて邪(じゃ)は正(せい)に勝たず 菅原道真
2011年8月の生命の言葉【コラム】~おむすび~
知って行わざれば 知らずに同じ
貝原益軒  


いくら頭で知っていても、実際に行わなければ知らないことと同じである。『慎思録』

人は正しく生きて行くには勉強しなければならない、そして、正しい道理を知りそれを役立たせなくてはならない、そして、それを実際に行動に移さなくては何の意味も無いのである。

宇都宮神社
宇都宮神社 8月27日ツアー開催

*この言葉気学にも通じますね。
宇宙自然の道理、法則を気学という一つの学問から学び
気学の法則を使い、実践していくことに
運命を好転させていく

今月の運勢担当のPINK SNOOPYさんからの編集後記がまさにその実践10年を
あらわしているよにかんじられました。 8月運勢は

PINK SNOOPYさんの編集後記を読んで、励まされたという方からのお言葉、何人か頂いております。
ありがとうございます。 Ayuko


<編集後記>
気学を始めてから早10年。盤の2周目に突入しました。あっという間に過ぎ去った感じですが、今振り返って見るととても充実していたかなと思います。10年前に年盤5黄殺でこちらの東京に引っ越して来ました。それから間もなく中村先生の教室で初めて気学を習い、自分が5黄殺を犯していたことが判明しました。余りの凶方でビックリし、それから地道に吉方取りをしました。始めの数年は本当に効力があるのかなぁと半信半疑でした。しかし、ある時を過ぎてから吉方に行って自然に体感出来る感覚が芽生えてきました。先生が言っていた体感する大切さがやっと実感して分かりました。数年という月日がかかりましたが、マイペースでコツコツと頑張ってきて良かったと思いました。そして、5黄殺で引っ越していたにも関わらず、10年積み重ねてき吉方取りの効力が今年に入り大きな形として表れて、夫婦そろって偶然にも吉方で引越しが出来ました。
これからの10年後がとても楽しみです。
まだまだ未熟ですが少しでも皆さんの運気UPの参考になったらという思いで書きました。
楽しい夏をお過ごし下さい。




今月のコラム  小音羽 節

おむすび

コンビニで一番の売れ筋商品である「おにぎり」ですが、みなさんは「おにぎり」「おむすび」、どんな呼び方をしていますか?「にぎり飯」という呼び方もありますね。「にぎり」というとお寿司のような高級感もありそうです。私の尊敬する教授は「おむすび」提唱者です。日本に坐す神さまの中に産巣霊(ムスヒ)の神様がいらっしゃいます。八百万の神々の中でも重要なポジションにいらっしゃる神さまで、国学者本居宣長は「すべての神は産巣霊神の御霊を受けて成る」と言っています。ムスヒは「結び」につながっていきます。「おむすび」には神(御霊)が込められている感覚ですね。おむすびをいただいて活力にする。日本語の豊かさを感じさせられます。

日本は豊葦原の水穂の国です。日本文化はコメと密接なかかわりがあります。お祭では米、飯、餅、酒などがお供えに上げられ、藁で編まれた注連縄が結界に張られたりします。里山といって想像する日本の原風景には山や川と一緒に水田が一面に広がります。日本でおいしい食べ物といえば、炊きたての真っ白なごはんを思い出される方も多いと思います。和食には欠かせない食べ物です。米の消費減少が言われ、日本人は古来コメを主食として食べてきた印象ですが、現在のように当たり前に口にできるようになったのは実は近年のことですね。粟、稗、豆、イモなど、お百姓さんの主食は必ずしも白いご飯ではありませんでした。米を作っているのに自分たちはなかなか白米を食べられなかった。コメが神様へのお供えの筆頭にあがる感覚がみえてくるような気がします。

江戸時代の思想家安藤昌益は、人の生(性)はコメから生まれると考えていたユニークな発想の方ですが、農民こそ正人、その他は不耕貪食の徒とし、すべての人が自分のおマンマを自分で耕して口にするならば、この世に平和が続くと言っています。

放射性物質が残留している牛肉が問題になっていますが、その原因が餌の稲藁であったことは、単なる偶然でしょうか。一粒は小さなコメですが、私たちに大事なものを教えてくれます。

2011年 葉月   小音羽 節

写真:宇都宮神社(2009/5/26 吉方位開運ツアー)
宇都宮神社2
宇都宮神社
2011年7月の生命の言葉  コラム ~言霊の幸(さき)はふ国~ 
2011年6月の生命の言葉  大祓い東京都神社庁からの生命の言葉です 毎月1日発行されているようです。
各神社1日に行かれると新しい生命の言葉が置かれています

★ 生命の言葉と共に 6月より 小音羽 節さんからの”コラム”も載せております。
  こちらも、併せて、お楽しみくださいね!
  小音羽 節さん ありがとうございます。

生命の言葉

2011年7月の生命の言葉

習いつつ 見てこそ習へ 習わずに 善悪(よしあし)いうは 愚かなりけり   千 利休

*すべての勉強は人から教えられたことをまず習い、人の振りを見て確かめ、さらに自分でやってみて身につけて
いく。それを人から教えられることなく善悪をいうのは、馬鹿なことだ。

hanabi.jpg




今月のコラム  小音羽 節

~花火~ 文月

震災の影響で各地のお祭が自粛ムードにつつまれた中、隅田川の花火大会も一時は中止が言われました。夜出歩くのは電力消費にも影響しますし、警備も大変です。被災している人がいるのにお祭さわぎなんてそんな気分になれないというご意見もあるでしょう。
隅田川の花火は、質素倹約で(生類憐みの令でも)有名な五代将軍徳川綱吉公の時、水不足に悩み、雨乞い祈念として始められたといわれます。三囲神社(みめぐりじんじゃ)と浅草寺の間の隅田川岸だけで、江戸で唯一許された花火大会だったそうです。三囲神社は稲荷神社ですが、「夕立ちや 田にみめぐりの 神ならば」という句が残されています。浅草寺の有名な門は「雷門」ですね。天に向かって雨乞いをする、つまり五穀豊穣を祈る。神に思いを届けてほしい、そんな気持ちが花火をあげるわけなのです。花火が上がる時の「ドン」という音は、水を表現する(誘う)音で、桃太郎は「どんぶらこ」と川上(天)から流れてきますし、赤穂浪士が討ち入りの時、雪の降る中わざわざ太鼓をたたく演出(?)がされています。雷神は太鼓を持って、雨風を呼んできます。一方、花火大会は経済効果も相当だったようです。花火作りは、世が治まって戦が減り仕事がなくなってしまった火薬職人の新しい仕事になりました。浅草寺の仲見世は参拝客のみならず、花火大会の見物客の需要もあってにぎわっていったそうです。花火は雨乞いのためだけではなく、経済の活性化にも一役買ったわけです。綱吉公はケチで動物好きな変りもの?!ではなく、なかなかの将軍さまだったのですね。先人の知恵を拝借したら、明るく困難に立ち向かっていけそうな気がしませんか?今こそ祭の意味を問う時。涼しい部屋のテレビで見るのではなく、実際に目で見て、音を聞いて、想いを寄せたい今年の花火大会です。


~言霊の幸(さき)はふ国~ 文月

万葉集では大和の国を「言霊の幸(さき)はふ国」とうたっています。「幸はふ」とは霊力によって幸いをもたらすという意味で、発した「言(コト)」(言葉)は「事(コト)」(現実)となると信じられてきました。「言挙げ」は神聖な行為であり、言霊を発するのは神または天孫であられる天皇(すめらみこと)です。言霊を発するものは、見たままを言うのではなく、繁栄した未来像など(以前「サクラ」のコラムで登場した「国見」などもそうですね。)を発し、世の中を良い方向に導きます。神道では「言挙げせず」といわれ、神の力、言霊の力を重視してきました。神道、すなわち「神ながらの道」は神の示す道にしたがうことです。神が(良い)言霊を発してくださるので、私たちは清く明るく正しく直く、進むことができるのですね。祝詞を奏上するのも言霊ひとつですが、ただお願いごとを繰り返すものならば、果たして言霊とは言えないでしょう。こうありたい姿を申し述べ、「言」が「事」になるように祈りを込め、そのために精一杯努めることをお誓い申し上げるのではないでしょうか。
日本最古の書物「古事記」は稗田阿礼が代々伝えられてきた神話を語り、太安万侶が記録したものです。文字を持たなかった時代にも、大切なものはきちんと受け継がれ、語り継がれてきました。映像や書籍、あるいは電子文字など様々な伝える方法を手にした私たちですが、言霊の偉大な力を軽視してはいませんか? 

2011年 文月   小音羽 節



hanabi (2)

撮影 2008年08月05日 Ayko撮影 熱海にて
2011年6月の生命の言葉  大祓い
東京都神社庁からの生命の言葉です 毎月1日発行されているようです。
各神社1日に行かれると新しい生命の言葉が置かれています

生命の言葉


2011年6月の生命の言葉

ゆく河の流れは絶えずして
しかも もとも水にあらず


鴨 長明

*流れていく川のの水の流れは止まることなく、しかも、そこにある水は決して元あった水ではなく次々と新しくなっていく。
『方丈記』

人の世が移り変わるものであることは昔も今も変わりがない。しかも、流れの速度は昔と比べようもない速さである。つまらないことで悩んだり、怒ったりして時間を無駄に費やす暇はないのである。

鎌倉のあじさい


小音羽 節 コラム

~大祓い~ 水無月


天罰、という言葉があります。神の導きに逆らうと、人は罰を受ける。だから災害が起きるのだ、という人もいます。
「罰」というとキリスト教の思想を思い浮かべます。禁断を破りアダムとイヴは楽園を追放され、人は罪を償いながら生きていくことになりました。「罰が当たる」とよく言われますが、仏教思想では悪行を働いたものが地獄に落ちるというものがありますね。古来日本人の発想はどうだったでしょうか。天災が起こるのは、乱れた世に対し、神が神意を現したからだという考え方があります。世直りのきっかけとしてとらえているのです。天災の直後に改元が行われたこともあり、これまでの世をリセットして良い世の中に変わろうとしました。「大祓い」の感覚ですね。古来日本人はやり直す方法をたくさん知っていました。例えばお正月もそうです。年があらたまると、新しい自分に生まれ変われる。かつて日本では誕生日ではなくお正月に、みな一斉に歳をとっていました。歳神さまからお年玉(歳魂?)をいただき、感謝し、良い1年になりますように祈念していました。
進化とは生き残りのために淘汰されていくこと。ダーウィン曰く、強いものが生き残るわけではなく、変化に対応できるものが生き残るそうですが、生き残るために不要なものはやがて無くなっていきます。今残されているものは、必要があって残されている。もちろん消えていったものたちも、意味があってこの世に存在し、役目を終えて去っていった。すべてのものに意味があり、ここに存在していると感じれば、自分の存在の尊さが身にしみます。果たして生れてきた意味を知ることが、私たちの使命なのかはわかりませんが、存在の意味を確かめられたとき、人は悦びを感じることができるように思います。それは他者からもたらされることが多く、人が繋がりたいと思うのは、いまここにいる意味を知るためなのかもしれません。私たちは無価値じゃない。無意味なものなどない。人はこの世に生まれ、いつか去っていきます。生まれてきた意味など意識しなくても、いつか腑に堕ちる瞬間に出会えると信じたい。多くの生死にかかわり、価値観が翻弄する中、自分を見失わないよう、いつも悦びを感じていたいと思います。神恩感謝。

2011年 水無月  小音羽 節





鎌倉のあじさい2
鎌倉にて
Copyright © 彩祐子の心の扉 (フローリーディング研究所ブログ). all rights reserved.