2011年7月の生命の言葉  コラム ~言霊の幸(さき)はふ国~ 
2011年6月の生命の言葉  大祓い東京都神社庁からの生命の言葉です 毎月1日発行されているようです。
各神社1日に行かれると新しい生命の言葉が置かれています

★ 生命の言葉と共に 6月より 小音羽 節さんからの”コラム”も載せております。
  こちらも、併せて、お楽しみくださいね!
  小音羽 節さん ありがとうございます。

生命の言葉

2011年7月の生命の言葉

習いつつ 見てこそ習へ 習わずに 善悪(よしあし)いうは 愚かなりけり   千 利休

*すべての勉強は人から教えられたことをまず習い、人の振りを見て確かめ、さらに自分でやってみて身につけて
いく。それを人から教えられることなく善悪をいうのは、馬鹿なことだ。

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今月のコラム  小音羽 節

~花火~ 文月

震災の影響で各地のお祭が自粛ムードにつつまれた中、隅田川の花火大会も一時は中止が言われました。夜出歩くのは電力消費にも影響しますし、警備も大変です。被災している人がいるのにお祭さわぎなんてそんな気分になれないというご意見もあるでしょう。
隅田川の花火は、質素倹約で(生類憐みの令でも)有名な五代将軍徳川綱吉公の時、水不足に悩み、雨乞い祈念として始められたといわれます。三囲神社(みめぐりじんじゃ)と浅草寺の間の隅田川岸だけで、江戸で唯一許された花火大会だったそうです。三囲神社は稲荷神社ですが、「夕立ちや 田にみめぐりの 神ならば」という句が残されています。浅草寺の有名な門は「雷門」ですね。天に向かって雨乞いをする、つまり五穀豊穣を祈る。神に思いを届けてほしい、そんな気持ちが花火をあげるわけなのです。花火が上がる時の「ドン」という音は、水を表現する(誘う)音で、桃太郎は「どんぶらこ」と川上(天)から流れてきますし、赤穂浪士が討ち入りの時、雪の降る中わざわざ太鼓をたたく演出(?)がされています。雷神は太鼓を持って、雨風を呼んできます。一方、花火大会は経済効果も相当だったようです。花火作りは、世が治まって戦が減り仕事がなくなってしまった火薬職人の新しい仕事になりました。浅草寺の仲見世は参拝客のみならず、花火大会の見物客の需要もあってにぎわっていったそうです。花火は雨乞いのためだけではなく、経済の活性化にも一役買ったわけです。綱吉公はケチで動物好きな変りもの?!ではなく、なかなかの将軍さまだったのですね。先人の知恵を拝借したら、明るく困難に立ち向かっていけそうな気がしませんか?今こそ祭の意味を問う時。涼しい部屋のテレビで見るのではなく、実際に目で見て、音を聞いて、想いを寄せたい今年の花火大会です。


~言霊の幸(さき)はふ国~ 文月

万葉集では大和の国を「言霊の幸(さき)はふ国」とうたっています。「幸はふ」とは霊力によって幸いをもたらすという意味で、発した「言(コト)」(言葉)は「事(コト)」(現実)となると信じられてきました。「言挙げ」は神聖な行為であり、言霊を発するのは神または天孫であられる天皇(すめらみこと)です。言霊を発するものは、見たままを言うのではなく、繁栄した未来像など(以前「サクラ」のコラムで登場した「国見」などもそうですね。)を発し、世の中を良い方向に導きます。神道では「言挙げせず」といわれ、神の力、言霊の力を重視してきました。神道、すなわち「神ながらの道」は神の示す道にしたがうことです。神が(良い)言霊を発してくださるので、私たちは清く明るく正しく直く、進むことができるのですね。祝詞を奏上するのも言霊ひとつですが、ただお願いごとを繰り返すものならば、果たして言霊とは言えないでしょう。こうありたい姿を申し述べ、「言」が「事」になるように祈りを込め、そのために精一杯努めることをお誓い申し上げるのではないでしょうか。
日本最古の書物「古事記」は稗田阿礼が代々伝えられてきた神話を語り、太安万侶が記録したものです。文字を持たなかった時代にも、大切なものはきちんと受け継がれ、語り継がれてきました。映像や書籍、あるいは電子文字など様々な伝える方法を手にした私たちですが、言霊の偉大な力を軽視してはいませんか? 

2011年 文月   小音羽 節



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撮影 2008年08月05日 Ayko撮影 熱海にて
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